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居住地: Japan
誕生日: 7月 11日

1行紹介

脱原発。脱肉食。脱安倍政権。神、自然人間の大調和を祈る。

自己紹介文

合掌ありがとうございます。

私の紹介で一番大切なのは生長の家の信仰をするようになったきっかけだと思いますので、此処に体験談を書き込みます。

不思議体験ですが、神様の世界は善のみの世界を悟るための学びでした。

(お父さんが伝えてくれた生長の家)


私の亡き父は60年前、17歳の時に教えに出会いました。父が生まれた頃は曽祖父が真宗のお寺の総代をしていて、信心深く裕福な家庭だったそうです。8人兄弟の長男で曽祖父から溺愛されて育ちました。

 曽祖父が亡くなった後、家が衰退していき、父は高校を中退して祖父が始めた漁師の手伝いをすることになってしまいました。エンジンが父にしかかけられなかったそうです。しかしうまくいかず、教えを知ったばかりの父が生長の家の話を祖父にしても、そんな神様みたいな事を言うなと嫌い、とうとうノイローゼになり、工業用のアルコールを飲んで、倒れました。

 父は診療所まで祖父をおぶって運び助けを求めたのですが、医師は酔っ払いの相手は出来んと追い返し、何の処置もされず、家に戻った祖父は亡くなりました。父が21歳の時です。自殺なのか事故なのか判らないままでした。


 父は祖母が祖父の言う事を聞かない冷たい女だから祖父が自殺したと、祖母を心で責めたそうです。


 生長の家を学んで、神様の完全円満の世界(実相世界)と現実に起こった父親の非業の死(現象世界)の違いを理解したくて、毎朝みずごりをして生命の実相を読み、神想観、聖経読誦に励み、誌友会に入会して青年会のお役も受けて、生長の家の信仰を熱心にしていたそうです。
 

 大手のセメント会社の研究員として仕事にも恵まれ、母とお見合い結婚をした後は、二人の男の子を授かり、自宅で誌友会を開き、患っていた狭心症も癒されて、表面的には幸せな日々を送っていたそうです。


 しかし、私が生まれて間もなく、父は全てに自暴自棄になりました。


どんなに生長の家を信仰しても、祖母との仲は良くならず、お酒を飲んで暴れる、酒乱になってしまい、トラブル続きで、仕事も生長の家も辞めてしまいました。


 父は男の子三人が欲しかったと母に言い、1歳になった私を子供の居ない親戚に多額の結納金?と引き換えに養女に出そうとしました。

  
 
 養女に出されかけた話を、私は父から4歳の時に聞かされて、この世界が崩れるような衝撃を今でもはっきり覚えています。


 父は「女はいらんと思って、博久さんの子なら優秀に違いないから、どうしても子供が欲しいち言われたけ、お前をやろうと思ったんやけど、敏子(母)がお前を抱きしめて、放さなんかったけ、静岡からお前を向かえに来とったんやけど、泣く泣く帰って行った。醤油工場の社長やったけ、行っとたらお前は金持ちの子やったんやけど、幸江は良い子に育ったから、あげなくて良かった」と言われました。 

 4歳になったばかりの私ですが、父の言葉は充分理解できました。 「良い子じゃなかったらすてられる?」 充分すぎるコンプレックスを抱え、父に甘える事が出来なくなりました。


 お酒を飲んでない時は、仕事が出来て、やさしい父。「幸江、笑ったら美人になるぞ、いっつも笑っとけよ」と良く言われました。
 
 私の話もよく聞いてくれて、正しい事をすると、認めて、褒めてくれました。 かけっこが早く、成績も兄達よりも良かったので、父は私の自慢ばかり人にしていました。

 しかし、深酒すると、祖父、両親、妻、再就職した会社の上司を罵って、暴れて、苦しみながら、「俺は生長の家を辞めた。喧嘩して生命の実相40巻と聖典を燃やしてしまった。取り返しがつかん」と必ず言って、時には泣いていました。

「生長の家って、なんだろう、宗教やろうけど、おとうさんをこれだけ苦しめて、おとうさんはなんで辞めたんやろう?」私の疑問は深まるばかりでした。

 母は父とお見合いをした時、長身でハンサムな父に一目ぼれ、父が好きでたまらなかったそうです。父がどんなに荒れ狂っても私さえ我慢すればいいと、辛抱して三人の子供をやさしく育ててくれました。

 母は父の心配でいつも心が一杯でした。 私は暴れる父から母を守っていました。 母は私に頼っていましたので、私は自分を強い人間だと思い込もうとしていました。


 私が高校3年の時、胃潰瘍で倒れた父は手術を受けて回復しました。
 間もなく、母と二人で、三日間外出して、驚く程、明るくなって帰ってきました。
 父は母と一緒に生長の家の北九州練成会を受けて、生長の家に再入信したのでした。

 そして、「理想世界」誌を私にくれて、「お前なら、生長の家が判る、お前にだけは、教えてやる」と言われました。 

 丁度、同じ頃、私は教師になる夢を持っていたのですが、父から女は大学に行くなと言われて、大学進学を諦めていました。
 猛勉強をして推薦をもらえるまで努力して、父を説得したのですがダメでした。奨学金を受けて自分で行くといってもダメで、遂に母がそんなに行きたいなら行きなさいと言ってくれたのですが、母に又苦労をさせる事だけはできない。
 

 生命の実相40巻を買い揃えて、父は一心不乱に読み始めました。
 私は父がこだわり続けた生長の家を再び学ぶ事は、喜びと、恐れの入り混じった表現の仕様のない気持ちでした。
 


 しかし、父の唱える招神歌を初めて聞いた時、あまりの美しさ神々しさに、生長の家は素晴らしい宗教だと直感しました。

 
甘露の法雨の素晴らしさに涙が溢れて止まらない。

 家族で出かけた事が無かったので両親と誌友会、講習会に出かける事も嬉しかった。

 早朝神想観も一緒にするようになりました。 これから、素晴らしい生活が始まると思いました。

 しかし、就職しても、一日めからやけどを負い、ミスばかりで何も出来なくなり、辞めなければならなくなりました。

 私はお父さんに本当の感謝が出来ていない。感謝したい。 ゆには練成道場の一般練成会に行きました。

 しかし、私は非常に強い霊媒体質だったらしく、ゆには練成会で激しいケミカライゼーション(運命の自壊作用)起きてしまいました。 私の魂は急激な霊的転換に対応しきれなかったのです。

 

 非業の死をとげた祖父、鉄道に飛び込んで体がバラバラになって死んだ母の妹。次から次に先祖が現れ、その苦しみが私の心と体にダイレクトに伝わりました。死んだ方がましだと思うくらい苦しかった。

 流産児がその悲しみ苦しみを訴える。私はかわいそうで、かわいそうで、みんなを抱きしめたい。でも、堕胎している大人がすぐに判り、憎しみをおさえきれない。

 大好きな母、私には天女のようにやさしくて、愛情を注いでくれた母にも4人の流産児がありました。私は兄弟姉妹の犠牲の上に母の愛を独り占めしてきたのかと思うと、申し訳なくて、生きている事が罪なように感じてくるしかった。

 私はゆには練成の先生に「ゆきちゃん、あんた死ぬよ」と言われました。「生長の家で魂を鍛えなさい。あなたの魂は珍しい程真っ白なんよ。長期生になって、魂を高めなさい。」と、修行させてくださいました。


 私は、意識が錯乱して荒れ狂う時と、正気で明るく元気に仕事の出来る自分が交互に現れました。

 生長の家の多くの先生方に愛され、導かれました。
 
しかし、生長の家を学べば、学ぶほど、父を憎みました。

 父が生長の家を辞めなければ、母が流産児をつくらなければ、私がこんな苦しい目にあわずにすんだのに。

 なにも信じられなくなり、家にも、道場にも帰らず、さ迷いました。


 警察に保護され、入院した時、私の脳波はめちゃくちゃでした。


 家に連れ戻されて、暴れ狂い、40度の熱が続き倒れました。両親が交代で、甘露の法雨を読んでくれました。


 私が、病気になった時、父は講師に、「全て私の責任です。私が悪いんです」と、言っていましたが、横で聞いていて、うそ臭く感じ、腹が経ちました。


 しかし、今、甘露の法雨を一心に読む父の真が伝わって来ました。

 そして「幸江、人に迷惑をかけては、いけんよ。」と、やさしくいいました。


 初めて、もう、狂うのは止めよう。と思いました。 

 生長の家にも迷惑を掛けて悪かったと思いました。 

 
 そのとたん、私の体から、白く輝くにこにこした人達が、一気に抜けて空に昇って行きました。


 私に憑いていた多くの方々が、私の心が変わるのを待って、成仏したのです。 

  そして、私は正気にもどりました。

 これが、私が生長の家を学んだ、最初の体験です。

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